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映画「桐島、部活やめるってよ」の読み方 [映画]

この映画のもっとも重要なメッセージは
「おれたちはゾンビ映画が大好きだ」
ということだ。
これは、主人公に仮託した映画製作に関わった者たちの心の声だ。

しかし、映画には金がかかる。
そこで、「最近、話題の小説がありまして、それを原作に映画が作りたいです」ということにして金を集めた。

スクールカーストの最上位にいる野球部は、何がどう間違ってもプロ野球選手にはなれない。だからといって、転落の人生が始まるわけではない。野球部は、スポーツマンでイケメンだ。明るい性格で、それなりに努力をすれば、たいていのことはできてしまう。普通に大学に行き、普通に就職しても、「普通の人」のカテゴリーの中ではそれなりに勝ち組でいられる。

一方、最下層の映画部はどこまでも最下層のままだ。わずかな稼ぎをつぎこんで、売れるあてなどない自主映画を作り続けるだろう。
万が一、プロになったとしても野球部を逆転できるわけではない。メジャーで公開される映画を撮っても食えない監督は大勢いる。経済的なことだけではなくて、そもそも映画という悪魔に魂を引かれている限り地獄の底を這うように生き続けるしか仕方ないのだ。

そんな映画部でも、
「おれたちはゾンビ映画が大好きだ」
と叫ぶ時だけ、その声に少しだけ嬉しそうな色が帯びる。
それは、永遠に続く漆黒の闇の中にほんの一瞬キラリと輝く光なのだ。
だからこそ、その叫びは映画にする価値がある。映画にしなければならない。映画部たちはそう思う。

ドラフトされる可能性を信じて部活をやめない野球部の愚かな先輩は、スクールカーストの外にいる。上でも下でもなく、その外にいる。
野球部であることにステータスを求めない。しかし、野球をすることが将来、何の役にも立たないということへの疑問も感じない。ただ野球が好きで、野球をしている。
カーストからの解脱。彼は、寒山拾得なのだ。

しかし、同じようにただ映画が好きで映画を作っている映画部は、涅槃からはほど遠い。映画という地獄に囚われ、生きたまま焼かれている。
だから、
「おれたちはゾンビ映画が大好きだ」
と叫ぶのだ。叫ばなければならない。

「なぜゾンビ映画なのか?」
という疑問を持った人は幸せだ。少なくとも、そうなる資格がある。
これは、理由を問う問題ではなく、ただ「分かる」か「分からない」かの問題だからだ。
分かってしまった人の魂は地獄にある。映画という地獄だ。そこで未来永劫焼かれ続けるのだ。
タグ:桐島
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