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清洲会議 [映画]

本能寺の変後、天下の趨勢を決めた清洲会議。三谷幸喜得意の密室群像劇として描いている。

役所広司の柴田勝家は無骨で実直だが、気を利かせようとすると全部ピントがずれた行動になる。小日向文世の丹羽長秀はインテリ風の真面目な知恵者だが、現実はどうも思うように運ばない。佐藤浩市の池田恒興は自分の立場をはっきりさせないエリート。他人に媚びる素振りは見せないが、大多数に付き利に転ぶことがばれている。
いずれも頼りにならない人物だが、悪い人間ではない。

唯一、裏表のある羽柴秀吉が悪人的で、こういう人物に人気が集まるのは大衆の弱さ、愚かさを表わしているようでもある。
しかし、大泉洋が演じることで物語が陰湿にならずに済んでいる。

女性陣は一癖も二癖もあり、良妻賢母であったり女神的であったり男性が理想化した女性は登場しない。
また、砂浜での旗取り合戦のばかばかしさは底が抜けている。

家来が集まり過ぎて部屋が足りず、前田利家、佐々成正ら重臣が狭い部屋でザコ寝する場面がある。
この物語の登場人物たちの間に働く引力を象徴的に表わした場面だと思う。
織田家が全国規模に拡張し、登場人物たちも出世して社会的ステータスを備えた立場になったわけだが、かつては清洲城という狭い場所に身を寄せ合い暮らしていた。
その肌が触れあうような濃密な人間関係の記憶が、会議という平和な手段に彼らを引き寄せ、それを破綻させないための柔らかな求心力になっている。
「お家のため」や「国家のため」といった身体感覚から切り離された揮発性の高い封建的価値観では、それはできないのである。

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